釣道の頂を目指して

巨大魚に心を奪われたアングラーの心の掃き溜め。文多め、釣果少なめ。臆病で小心者の釣り人が描くサクセスストーリー(予定)。

せめて、人間らしく

なんだか釣りブログとはかけ離れてもうただの日記になってしまうけれど。

 

最近いろいろと上手くいかない。

 

釣りでは毎日バイトすら得られない。

正直、釣れない釣りほど楽しくないものはない。

結果が出ないのは退屈きわまりなく、残りの時間がない今では焦りが募るばかり。

とすれば、自分は本当に釣りが好きなのだろうかと考え込む。

釣りが好きで好きでしょうがなかった小中学生の頃のように純粋に釣りを楽しむことができているかと自問自答すると、「釣りではなく釣りしてる自分が好き」という他の人に対する指摘に、自分はどうだろうか、とちょっぴり怖くなる。

 

そういえば中学生の頃、長期休みには約束せずとも部活の後自然に集まって、毎日ママチャリで一緒に釣りに行っていたあいつは今は自分と違い、大学生っぽいことをしてる。楽しそうだ。彼女もいるし就職もいいとこに決まったみたいだ。

自分は彼女なんかもいないし、金がもったいなくておしゃれなカフェやバーなんか行けない。竿を持たない旅行もできやしない。

だからいわゆる「大学生らしい」生き方をしている人達にすごく憧れる。

そして、そんな生き方とは真逆のような生き方をしている自分に劣等感のようなものを覚える。

俺だってお金があったらバーとかカフェとかちゃんとした旅行とか行ってみたいけれど、どうしてもお酒やらコーヒーやらそんなものとルアーの値段を比べてしまう。

もう病気なんだろうなあと思う。

 

そういえばもうすぐクリスマスだな?

当然会う人も電話する人もいない。

磯でルアーを投げることしか出来ない。

…自分にはこれしか縋れるものがない。

 

でも、普通の幸せは味わえない、味わいたくないくせに、かといって時間をかけてやってきた好きなことでも大した結果を残せてきたわけじゃあない。

好きなことと真面目に向き合うほどに現実と理想のギャップは大きくなる。

真面目にやってみて結果が出ないのは本当に辛い。

今までしてきた言い訳が全部嘘だと思い知らされ、自分の才能の無さと情熱の足りなさをこれでもかと突きつけられる。

そしてそれに耐えて前を向き続けるのは、とてつもなく苦しい。

好きなことで結果が残せないのなら、せめて周りと同じ「普通の」幸せを幸せと感じられたら、こんなもの好きになってしまわなかったら、どれだけ苦しくなかっただろうか。どれだけ人生は明るくなっていただろうか…。

 

しかし悲しいことに自分にはこれをやめるという選択肢がない。

俺にはこれしかない、なんて結果が出てないから情け無くて言えないのだけど。

 

…結果が欲しい。

純粋に。

 

また、いつも使っていたキャタリナはギアがいかれてしまった。

買ってから約九ヶ月。

ゴリ感シャリ感は前からでていて長くはないかもと思っていたけれども、せめて今年いっぱいは持ってほしかった。

先月何故か突然テンションが上がって泳いだ時に一回水没させてしまったのが良くなかったのかもしれない。

辛いことにメンテに出す金もない。

大物は諦めなくちゃいけないのか、と思うとかなり辛い(シマノ14000番がまだあるけどちょっぴり不安)。

 

研究の方ではサンプリングが予想通りに行かず、年末までの滞在期間を1月の中旬までに延ばした。

年末と正月はさすがに帰りたかったけれど、今後の就活のことを考えるとまともに時間を取れるのは今しかない。

生き物相手の研究は本当に難しい。

特に自分の研究対象は季節性が強く、しかもそれが就活の時期と重なるわ年ごとのばらつきもかなり大きいわでかなり厳しい戦いを強いられている。

自分で決めたことだけど、さすがに寂しいし、辛い。

おせち食べたかったし、久しぶりに会う予定だった元バイト仲間との新年会も出られない。

自分は何のためにこんなことしているんだろう。

好きでもないことに、こんなに時間をかけて。

でもデータが揃わずに卒業できないことの方がもっと辛いのでやるしかない。

それでも、研究対象の生物の実験のために拠点にある唯一のエアコンを使い、実験に悪影響を与えないために自分は寒く暗い部屋で息を潜めて生活していると、自分がなんのために生きているのか、本当に分からなくなってしまう時がある笑。

 

研究をやったことない人に研究の話をすると「やりたいことができて良いね」とか皮肉めいたことを時々言われるけれど、研究をちゃんとやる場合は結構人間を捨てないとできないことの方が多い気もする。

論文ではマテメソ(材料と方法)のところなんか簡潔に書かれているので、研究者がどれほど苦労しているかっていうのはなかなか伝わらないけれど、恐らく多くの場合、苦悩と挫折の連続なんだと思う。

だから研究者だって「やりたいことができて良い」なんてことはない。

別にすごいとなんか思われたいわけではないが、最低限の理解はしてほしいな、と思う。

自分なんかはIPS細胞のように世の中に役立つ研究ではなく、どちらかというと純粋な興味を突き詰める研究をしているので偉そうなことは言えないのだけれど。

 

就活の方も、最寄りのテストセンター会場が福岡だったり、それが原因で行きたいインターンに応募できなかったりって感じで、東京の学生なのに地方大学生の就活の大変さを実感している。

やっぱり、実際に自分が体験してみないと分からないことも多いなと。

多分東京にずっといたらこんなこと一切気にしてなかったと思う。

 

面接とかはWEB面接とかで対応してくれたりするけれど、やっぱり自分は人に何かを伝えると言うことが苦手だと痛感する。

自分が言いたいことがあるとすると、自分が発信できるのが良くて7割、相手に伝わるのはきっともっと少ない。

言葉が不自由(適当な使い方かはわからないが)ってのは本当に辛い。

自分の想いを、自分の考えを、思った通りに誰かにぶつけられないのは、伝えられないのは、とてももどかしく、寂しく、そして苦しい。

そして説明不足だったり誤解を生んだりして誰かを傷つけたり怒らせたりしてしまうのは本当に怖いし、そして何より申し訳ない。

自分の胸中を、この想いを、他の人に正確にかつ遠慮無くぶつけられたらそれはどれほど幸せなのかなと思う。

でも自分にはそれができない。

まあ、だから、こんな文章を書いているんだと思う。

とりあえずコミュ障は、辛い。

 

まあこんな感じで、とりあえず辛い時期にさしかかった。

年中辛いけど笑。

まあ辛いのは自分の要領が悪いだけなんだろうなあと思う。

他の奴ならもっと上手くきちんとできたのかなあなんて思ったりもする。

 

釣りでは、正直、大きい魚を釣りたい気持ちはあるのだけれど、時化や強風やらでなかなか希望の持てる日が少ない。

あきらめの気持ちも大分強くなってしまった。

それでも、自分は理論的には正しいことや効率の良いことじゃなくて、やっぱり自分が納得できることをしないと後で絶対に後悔する。

だからなんだかもう満身創痍だけれど、信じてやれることをやっていくしかない。

 

 

72.5kg釣ったあいつはそれを手にした瞬間、どんな表情をした?

どんな気持ちになれた?

一体どんな景色が見えた?

 

自分も、そんな興奮と歓喜を味わってみたい。

そんなことを思うと、苦しい時でもとてつもなく熱い何かが胸にこみ上げてくるような気がする。

 

 俺はお前みたいな余裕なんかねえよ、お前みたくかっこよくもねえよ。

自分のことで精一杯で、ダサくて、ほんとしょうもねえ奴だよ。

でも、俺だって自分を信じてみてえんだよ。これだけは諦めたくねえんだよ…。

って思う。

 

It ain't about how hard you can hit, but it's about how hard you can get hit and keep moving forward. It's about how much you can take and keep moving forward. That's how winning is done.

自分の好きな台詞。うろ覚えだけど。

辛くてもやるしかない。