釣道の頂を目指して

巨大魚に心を奪われたアングラーの心の掃き溜め。文多め、釣果少なめ。臆病で小心者の釣り人が描くサクセスストーリー(予定)。

Re:start

長らく閉じていたブログを再開しようと思う。

久しぶりにブログを書きたい心持ちになったので。

 

・・・

 

新型ウイルスの出現をはじめとする社会の激動の中で、自分を取り巻く状況も少なからず変化した。

釣りはもちろんのこと、研究で島に行くことも叶わなくなり、就活は全てオンラインで行われることになった。

 

そんな激動の中でも時間だけは変わらず、冷酷なほどに淡々と己のペースを刻み続け、学生生活は着実に終幕へと近づいていった。

クソみたいな就活も終わった。

食べ物が喉を通らないほど精神的に追い込まれたけど、自分なりにこの先どうやって生きていくべきかを死ぬほど考えるきっかけになった。

その過程でようやく俺は大人になる決心ができた。

 

ーー思えばこの5年、それはもう直ぐ6年になるのだけれども、散々好き勝手やらせてもらったと思う。

お金の心配なんかもありがたいことにさせてもらえなかった(釣りで常に金欠なのは別の話だけど)。

当然親だけでなく、先生だったり釣り人だったり友人だったりいろいろな人にお世話になった。

本当に恵まれているし、感謝してもしきれない。

 

だから、大人になるつもりだった。

恩返しなんて恥ずかしいことは言わないけれど、ここが腹の決め所かな、なんてことを思った。

 

理想の大人になるために、ありがたいことに自分を認めて頂いた給料も福利厚生も上の会社を蹴って、自分の一番好きなことではなく、より人の役、社会の役に立つであろう仕事を選んだ。

今まで諦めて見ないフリをしていたなけなしの才能と向き合い、研究者になる決意をした。

自分が思っていた以上に、きっと自分は真面目だった。

 

「こんな自分でも世の役、人の役に立ちたい」

スイッチが入り、朝から晩まで机に張り付いた。

今まで読んだことのない量の論文を漁った。

そして、社会に爪痕を残すような大したものでは全くないのだけれども、論文を一個書き上げた。

釣りへの未練はなかったわけではなかったけれど、センスがない自分にどこか諦めがついたようにも思えたし、もっと人としてやるべきこと、やらなければならないことがあるように本気で思えた。

 

自画自賛に過ぎないが、「大人としての第一歩」を踏み出せたような気持ちがして清々しかった。

 

「自分の一番好きなことではなく、自分のやるべきことをやろう」

そんな思いが強くなるにつれ、それまで張り詰めていた釣りへの想いは社会的な自粛ムードが次第に緩んでいくように、違和感なく消えていった。

 

 

 

 

否、消えていくように思われた。

 

・・・

 

 

そして4ヶ月を経て、僕はこのブログを書いている。

 

勘の良い人は気づいただろうが、僕は上のような綺麗な話を書くためにブログを再開したわけではない。

 

早い話、釣りを諦めることなんて出来なかったのだ。

「決意の日」から1ヶ月も経たないうちに頭は釣りのことで完全に支配され、頭の中ではそこかしこでナブラが起こり巨大魚が乱舞していた。

 

この4ヶ月で2回のGT遠征を含む4回の遠征をした。

研究なんてまともに出来る状況ではなかった。

研究室に行くよりもバイトをする時間の方が長いような情けない有様だった。

 

そして、直近のGT遠征が今、僕にこのブログを書かせている。

 

・・・

 

今年の初回のGT遠征では周りの人は魚を掛けているのに、僕といったら何故かヒットさせられたのはカスミアジのみ。

 

そして、その遠征はイソマグロ君と一緒に行ったものだったのだけれども、彼との技術の差を痛感させられた。

特筆すべきはファイト技術の差。

…綺麗なファイトだった。

考え方も洗練されていた。

ロックショアアングラーであれば知らない者などいないであろう「磯の作法」の著者、青木氏を伝説たらしめた二大舞台は、皮肉にも僕と彼との間に一生かかっても追いつけないような実力差を知らない間に生み出していたのだった。

 

そこから1ヶ月は何をしていてもビッグゲームのことしか考えられなくなった。

何よりヒットを得られなかったのが悔しくてたまらなくて、いろいろと改善して次の遠征に挑んだ。

 

次の遠征では、悪い潮周りにも関わらずまさかの4ヒット。

正体不明が1本、イソマグロ1本、キハダ2本。

 

しかし、全て獲れず、技術不足を痛感させられた。

夢にまで見た憧れの魚たちと、ようやく糸一本で繋がれたっていうのに…。

果たしてこの魚達と人生であと何回繋がることが出来るだろうか…。

今まで自分がしてきた力づくのファイトではどうすることもできなかった。

 

 

ーー運がない。

…今までそう言われてきた。

 

ーー運がない。

…今までそう言ってきた。

 

だが、初めてドでかいやつらと糸一本で繋がって確信したことがある。

 

「ビッグゲームはすべてが運じゃない」ということ。

 

もちろん運に大きく左右される類の釣りであるのは間違い無い。

しかし、糸が根に触れた時にどうするか、魚が嫌な方向に走った時にどうするか、ファイト中に起こり得る「問題」を最悪にまで持っていくのか、最小限の被害に留めるのかはアングラー側の責任も少なからずある、そう感じた。

自分は今回正しい判断を最終的には一切できなかったので強くは言えないのだけれど、それはタラレバの話などではなく、何故か確信に近いものとして感じられた。

そして、単にデカい魚と繋がるだけでなく、そこにもビッグゲームの面白いところがあると初めて気づかされたのだった。

 

釣りに絶対はない、とは思う。

しかし、この世のすべての事象には偶然なんてものはなく、そのすべてには(それが本人の意図するものではないとしても)何かしらの因果があるはずで、一生に一度の、獲れるかどうか分からない巨大魚を手にする確率を少しでも上げるためには、物事の結果を運なんて曖昧なもののせいにせず、その因果に本気で向き合っていく姿勢を持たなければならないと思う。

「良薬は口に苦し」とよく言うが、闘いに破れた時、その苦い敗北を毒とするか、良薬にできるかはその人次第でしかない。

その過程は決して楽しいことばかりではないだろう。

寧ろ恐ろしいものでさえあると思う。

何度も書いているが、物事に本気で挑む時、センスの差が明確に出るのは常だし、結果の出ない中で物事を突き詰めれば突き詰めるほどに現実は残酷なほどに襲いかかってくる。

もしかしたら、そんなふうに本気で向き合っても一生報われないなんてこともあるかもしれない。

いや、理不尽なことに人生なんて大多数がそうであろう。

それでも、やっぱり人間が持ち得る短い一生の間に憧れを手にしたいのであれば、試行錯誤は必ず必要だと思う。

「運」のみを頼りに闘いに挑み夢を掴もうとするにはヒト一人の人生なんて短すぎる。ちっぽけすぎる。

人生、明日死ぬかもわからない。どうか、この命が、この情熱の炎が消える時に、笑っていられますように、せめて出来ることはやっておきたい。

そう強く思って、これからも夢を見続けたいと思う。

 

・・・

 

さて、結局僕は大人になんかなれなかった。

 

ただ、どっかのブログにも書いてあったけれど、自分のやりたいことを我慢してやるべきことをやるのが「大人」なのだとしたら、一生僕は「大人」になんてなれないと思う。

「一生に一度は」なんて言葉よく耳にするし、自分も言ってるけれど、本当ならば何度もやりたいことを我慢して時間を浪費していくのは寒すぎる。

そんな「大人」には絶対になりたくない。

それが「大人」ならば絶対になりたくない。

 

初めから簡単に諦められるくらいなら、こんなに釣りを好きになったりはしない。

大好きになったものが金にならない、社会的にも良しとは言われない、たったそれだけのことなのだ。

別に僕が悪いわけではないだろう。

周りに何と言われようと、僕は釣りで夢を掴みたいし、夢を見続けていたい。

本気でそう思う。

 

 

しかしこれから先、夢を追い続けていく過程でいろいろな壁にぶち当たるだろう。

そこには釣りのスキルやセンスの問題ばかりではなくて、もっと避けては通れないどうしようもない問題もあるだろう。

 

ーー本当に強い憧れを持っていても、将来、それもそう遠くない将来に、必ず釣りを1番のプライオリティにできなくなる時がやってくる。

必ず体が言うことを聞かなくなる時がやってくる。

 

その時に笑って終われるためには運とか言ってる場合では無くて、試行錯誤を繰り返して技術を少しでも上げていく他ない。

 

僕には時間がない。

だから、まだ僕は「大人」になんかなってる場合じゃない。

 

頑張っていきます。

 

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