釣道の頂を目指して

巨大魚に心を奪われたアングラーの心の掃き溜め。文多め、釣果少なめ。臆病で小心者の釣り人が描くサクセスストーリー(予定)。

25才のリアル

私事ですが、会社を辞め、博士課程に進学することに決めました。

 

正直、険しい道だと思います。

博士課程というのは、その労働時間や研究成果に対する金銭的な見返りは、いわゆる学振を取ることができたとしても一般社会人の給料と比べると雀の涙ほどだし、なにより博士号を取得したところで将来のポストが保障されるわけでもなんでもなく、決して人生が安定するわけではありません。

寧ろ就職は殆どの場合、ハードモードになります。

だから仕事を辞めて博士課程に進学するというのは、好きなこと、興味のあることのために安定かつ安全なレールを降り、負け戦に近い不安定かつ危険な賭けに自らの身を投じるということに他なりません。

 

生きていく上で、危険はやっぱり避けるべきだと思います。

何があるかわからないし、恐ろしく怖い。

…でも、やっぱり危険というのは同時に魅力的でもあるんだろうな、と思います。

行っちゃダメと分かっているのに、行ったら確実に苦労すると分かっているのに、どこか強烈に惹かれるものがある。

どこか見て見ぬフリができない、どこか誤魔化すことができない何かがある。

 

結局苦労しても僕はそういう道を選んでしまうんだと思います。

そして同時にそう生きたい、それこそが人生なんだと思っているフシがきっとあるんだと思います。

 

研究者。博士課程。

かっこいいけれど、自分には無理だとどこかで諦めていました。

自分はボーッとしているし、頭が無茶苦茶良いわけでもないし、それでいて興味の幅は狭いし、溢れる探究心みたいなのがあるわけではありません。

それでも、大好きだった女の子にノーベル賞を取ると告白したあの時から、実は僕の心の内は決まっていたのかもしれません。

いつもながら遠回りしながら、不器用にしか選べないけれど。

 

以下、恥ずかしながら2回目のプロローグです。

恥ずかしながら決意表明的なものです。

 

 

将来への漠然とした不安から入った会社。

繰り返される刺激もない似通った毎日。

朝早く起きて会社に行き、残業をし、疲れ果てて家に帰る。

ただただ慌ただしく毎日が過ぎていく。

会社のために身を粉にして働き、時間を浪費し、なけなしの金を得る。

いつのまにか休日に行くマックだけが楽しみのような人生になっていた。

ふとこんな毎日があと35年続くのかと考えた時に、自分の人生はここにあってはいけない気がした。

純粋な夢も胸を駆け巡るような情熱もなく、毎日をただ同じように生きるのが、ひたすらに怖くなった。

これまで博士課程への進学なんて、将来食いっぱぐれたら嫌だなあなんて、才能のない自分には絶対に無理だなんて考えていたけれど、実際に会社に入ってみたら、そんな将来の恐怖よりも、会社のために毎日を死んだように生きて自分の人生を浪費していくことの方が、とんでもなく恐ろしいということにようやく気づかされた。

 

 

結局、自分の人生を自分に賭けられなければ人生というものは虚しい。

 

自分の可能性を諦めて力のある他者に自分の人生を委ねてしまえば、それは簡単だし、危険も少ない。

最も少ない努力で、最も小さいリスクで、それでいて最も高い確率でいわゆる「成功」を手に入れることができるだろう。

しかし、それは果たして真の意味で「生きている」といえるのだろうか…?

自分の中でひたすら葛藤があった。

 

安住の地にいて、それでいて人生だの生き方だのもっともらしいことを言う。

立派な会社人であり社会人である。

しかし、実際には彼らの夢や熱意の矛先は地位や名誉や金であり、いつも他人の評価ばかりを気にしている。

調子のいいやつが好かれ、もてはやされる。

保身に走る上司、価値観を押し付けてくる上司、器用に嘘をつく奴ら、出世のことばかり考えている奴ら。

社会に蔓延る本音と建前の気持ち悪い矛盾に違和感を覚えずにはいられなかった。

(名誉のために言っておくと、僕が会社の仕事に夢を見出せなかっただけでそうではない人は当然いた。また、先輩たちは本当に良い人たちだった)

 

会社のためだ?社会のためだ?

ふざけんな。

やっぱり自分の人生だからこそ、俺は他の誰でもなく自分の為に人生を生きたい。

他人に評価されて輝くんじゃなくて、他人に評価されたいからやるんじゃなくて、自分でそんな輝きを創り出すような、掴み取るような人生。

そして、自分が自分として生きていることそのものが、主観的でも構わないから、価値になるような人生。

そんな人生こそ、一生を賭けて紡ぐべきものだと思った。

 

だから、例えどんなに苦しくても、惨めでも、情けなくても、自分の可能性を信じて自分を貫かなくては、他でもない自分がこの世に生きている意味がないと思った。

限られた人生の時間が勿体無いと思った。

 

きっと社長になんて誰だってなれるさ。

きっと偉くなんて誰だってなれるさ。

でも、俺は俺なんだ。

俺でしかない、他でもない俺なんだ。

だからきっと、俺にしかできない、俺にならできる、俺こそがするべきことが、ここではないどこかにあるはずなんだ。

 

結局自分が自分の可能性を信じて人生に全力でぶつからなければ生きている実感など得られないし、絶対的な幸せも得られない。

俺が俺である限り、俺の人生は俺が主人公でなくては嘘だと思った。

危ない橋を渡れども、他人に自分の人生を賭けることだけはしたくないと思った。

社会に縛られて自分の本当にやりたいことをやらずに死んでいくのは、どうしても我慢ができなかった。

 

安定、結婚、マイホーム。

周りのみんなが着実に手に入れていっているいわゆる「幸せ」。

全部、サヨウナラ。

 

それでもよかった。

そうまでしても自分の可能性を信じたかった。

自分を捻じ曲げてまで得られるささやかな幸せなんて、鼻からいらないと思った。

心のどこかに違和感を抱き続けたまま、幸せなフリをして生きていくのだけは絶対に無理だと思った。

死ぬ直前に、「あの時挑戦すれば良かった」なんて心残りをしながら死んでいくのは嫌だと思った。

のたれ死んだらその時だ。

自殺がしたくなったらすればいい。

…それくらいの覚悟で挑むんだ。

命を燃やすんだ。命を賭けるんだ。

そんなことよりも自分の可能性を信じられなくなるのは、ずっとずっと悲しいことだと思った。

ただ時間を積み上げていくだけの人生なんて、

ただお決まりの道を歩くだけの人生なんて、

やっぱり俺にとってはクソほどつまんないんだ。

 

才能なんて俺には別にない。

光るものも俺にはない。

大学だって最低点からたったの4点差で入った。

勉強だって周りのみんなが理解できることを、俺はいつまで経っても理解できなかった。

だから博士課程なんてずっと無理だと思ってた。諦めていた。

だけど、俺はやる。やってやる。

やるしかないんだ。

本気で「生きる」ために…。

他でもない俺として「生きる」ために…。

諦めたらそこで人生終了なんだ…。

 

 

 

 

いや、これこそが自分の嫌いなはずの建前なのかもしれない、本当は。

こんな気持ちがあるのは間違いないのだが、純粋に働くということが嫌だったことも事実なのだ。

人間関係のストレスがあったのも事実である。

そしてなぜ博士課程なのか?という説明も実はあまりできない。

単純にアンチ社会すぎて社会から解放されたかっただけなのかもしれない。

 

これは単なる逃げなんじゃないだろうか…?

また親に心配と負担をかけてしまう。

それでもいいのか?

これくらい我慢できるものなんじゃないか?

みんな嫌なことに耐えながら、何かを守るために働いてるんじゃないか。

いい加減大人になれよ。

みんなが普通にできることが、どうして俺にはできない?

これは甘えではないのだろうか…?

果たして本当に自分は研究がやりたいのだろうか?

過去を美化して、嫌なことから逃げるだけの口実に使っているだけではないのか…?

分かる人に分かればいい?

本当はただ他人に評価されるのが怖いだけなんじゃないか?

将来はどうする?

自分を正当化しているだけなんじゃないのか?

 

繰り返した自問自答。

繰り返せども繰り返せども、そこに確かな答えは見つけられなかった。

この選択が、甘えや逃げや口実であることも、悔しいが、また事実なんだろう。

まあ、逃げる時の理由づけなんて、異口同音にご立派なもんだ。

ひたすらに情けない。

本当にクズでしかない。

いつまでも大人になれない、ガキのまんまだ。

 

 

…ただ、熱い気持ちが心の中で燃えていること、それもまた紛れも無い事実なのだ。

自分の人生に挑戦したいという気持ちに嘘偽りはないのだ。

いつからか自分の将来に希望なんてものは見いだせなくなっていたけれど、久しぶりに、本当に久しぶりに、高校生のあの夏の夜に感じたような、未来への胸の高鳴りみたいなものが胸の中を駆け抜けていったんだ。

恥ずかしいからあんまり他人には言わないけれど…。

 

 

この退職が将来、果敢な挑戦として語られるか。

それともただの現実逃避として片付けられてしまうか。

 

25才の目に映る「リアル」は果たして本当のリアルなのか。

それともただ自分の殻の中で都合良く捏造した偽りの「リアル」なのか。

 

 

 

分からない。

 

少なくとも今の俺には。

 

でも、それは、ただ未来の俺だけが変えることのできる「事実」なんだ。

これからの俺の行動や努力のみが変えることのできる「真実」なんだ。

これだけは間違いないだろう。

たとえ逃げだとしても、その逃げ道を一心に貫くことができればそれは誇るべき立派な道になり得るだろう。

ご立派な理由づけも筋を通すことができればそれは口実なんかじゃなく立派な道理になり得るだろう。

 

苦しいことなんてきっとこの先いくらでもある。

悔しいことだってきっといくらでもある。

博士課程をなめてるわけでは決してない。

でも、やるんだ。

やるしかないんだ。

本気で笑って死ぬために。

後悔なく死ねるように。

他でもない俺として生きるために…。

 

俺は熱く生きたいんだ。

感動に泣き叫びたくなるほどに。

衝動で走り出したくなるほどに。

…なんだか自分でもわからないけれど、自分のやりたい人生はとにかくこれに尽きるんだ。

 

何のために生まれて、何をして喜ぶのか。

答えなんてきっと無いんだろうけれど、自分なんてきっとこの宇宙の中の塵の一つでしか無いのだけれど、自分の中で自信を持った答えを出せないで死んでいくなんて、そんなのはやっぱり嫌なんだ。

 

…こんなふうに25歳になっても相変わらず治らない厨二病を引きずりながら、感情論と理論正論の区別すらつけられず、毎日を生きています。

まだダサい日記は当分続きそうです。

これからもよろしくお願いします。

 

 

追伸

これを書くのはどうかと思ったけれども、会社に入って釣りに行けなくなったということも、もちろん退職の理由に入っていないわけではない。

わけあって連休もロクに取れなくなってしまったし、何よりコロナで自分がしたいような遠征に行けるような状態ではなかった。

責任、リスク管理、モラルに雁字搦めにされた大人の世界は、僕みたいな世間知らずには想像以上に厳しかった。

でもやっぱり毎日夢を見てる巨大魚を諦めて、仕事の時にずっと考えてしまう小笠原やらアマゾンやらパプアやらを諦めて、死んでいくのはどうしても違う気がした。

たとえ憧れを手にしても、おそらく周りからしたら「釣ったからなんなんだよ」って話なんだろうけれど、僕は釣り人である以上、どうしてもその一瞬の興奮や感動に至上かつ唯一無二の価値を見出してしまうし、それを味わえない人生と味わえる人生では、やっぱり「いわゆる人生の幸せ」みたいなものをたとえ積み上げることができなくても、結局後者の人生を送りたいと思ってしまう。

周りに後ろ指をさされようが、どんなに落ちぶれようが、その一瞬の興奮と感動の渦中にいる時が釣り人はきっと一番輝いてるんだと思う。

 

研究を疎かにするつもりは全くないけれど、磯でのビッグゲームは続けていくし、そして海外遠征もできたらやりたい。

まだまだ釣りたい場所も魚も山ほどあるんだから。

その夢を忘れちゃいけなかったなと。

諦められる夢なんてのははなから本当の夢なんかじゃなくて、諦められないから僕の夢は夢だったんだよなと。

 

今、俺の背には水しかないけれど、同時に目の前にはワクワクしかない。

後悔のないように、研究も釣りもしっかりとやっていきたい。

 

俺には夢がある。

その夢を叶えようとしてこそ生きる価値のある人生なんだ。

厨二病に効く薬は、夢の達成か、それとも精神の老衰か。

後者の薬だけは絶対に飲みたくなんてないんだ。

 

職場では「良い歳の大人なんだから」と言われた。

確かに、25歳がこんなこと言うのも世間一般では恥ずかしいんだろうけど、それでも俺の人生、これからなんだ。

夢を諦めたらそこで人生終了なんだ。

そう信じて頑張っていきます。

 

 

 

…なんて、カッコつけちゃったけれど、本音は、
「うわあぁーーーーっ!!!

本当は俺だって、ささやかな幸せだって、欲しいんだよおおぉぉーーーっ!!!

博士課程?なんじゃそりゃ!!??怖すぎだろ!!!

彼女欲しい!!!安定した収入も欲しい!!!

できるなら女医のヒモになって釣りだけしてたいっっ!!!!!」

 

…彼女も、マックでチキンクリスプ以外を食べられる金も、ジムの割引券も、もしかしたら地位や名誉も他人の評価も、本当は僕だって欲しくないわけなんてない。

人生金じゃないなんて、好きなことやってこその人生だなんて、胸を張って言えるだけの自信も、結果も、強さも、今の僕にはやっぱりない。

金はないよりもあった方がいいし、俗な幸せもないよりはあった方がいいのは間違い無いだろう。

そして、社会貢献よりも自分の好きなことをとってしまって人として良いのかも分からない。

とめどない、けれどもどうしようもない、葛藤と迷い。

天上天下唯我独尊を掲げても、理想と現実の狭間で、本当は不安なんてないわけがないんだ…。

 

俺は何者でどこへ向かうべきなんだろうか。

俺はなぜここに生きてるんだろうか。

まだ、25年も生きているくせに、わからない。

…これが本当の25才のリアルなんだ。